16 Oct 2014

プーシキン 4。 アレクサンドロフスキー庭園。



第四部


ラトナヤ・パラタ


 「私は散歩を続け、フョードロフスキー大聖堂は後ろに遠ざかっていきました。アレクサンドロフスキー公園の入り口の近くに着きました。公園の入り口の少し手前で、この白い建物に気づかされます。








ラトナヤ・パラタ
建設年:1913 - 1917
 住所: Fermskaya doroga, 5А
ラトナヤ・パラタと呼ばれた建物で、ロシアの戦争の歴史に関する文書のコレクションを保存する博物館にしようと、皇帝ニコライ2世は考えていました。

 しかし、1914年に始まった第一次世界大戦は、博物館の概念を変えました。
 第一次世界大戦のトロフィーと兵器をここに保存することが決められました。


 しかし、この博物館は、短い間だけ機能していました。


1917年の革命後にはここに農業大学の文化クラブがありました。
多くの文化人がここに集まりました。
作家や詩人(フョードル・ソログープ、セルゲイ・エセーニン、ウラジーミル・マヤコフスキーなど)はここで作品を発表をしました。

今年、第一次世界大戦の開戦100周年を記念して、ラトナヤ・パラタが復元されました。
ここでは、今年の8月に第一次世界大戦の博物館がオープンしました。

アレクサンドロフスキー公園

私は、アレクサンドロフスキー公園に入りました




この公園は、観光客にも有名なエカテリーナ公園に隣接しています。
しかし、ここでは外国人観光客をほとんど見かけません。

アレクサンドロフスキー公園はエカテリーナ公園ほど賑やかではありません。ここはしずかに景観を楽しむ公園です。   しかし、ここにも面白い 施設があります。


アレクサンドロフスキー庭園は(エカテリーナ公園と違って) 無料で入場できます。 時間があったらこの公園にも散歩しにきてください。


 アレクサンドロフスキー宮殿

 今、アレクサンドロフスキー宮殿と庭園の歴史を詳細にお話しすることは、私にはとっても難しいことです。
そこで、それについてすこしだけお話しします。
アレクサンドロフスキー宮殿の建設は、エカテリーナ2世の時代に始まりました。エカテリーナ2世の皇孫(アレクサンドル1世) のためのものです。
このため宮殿も庭園も「アレクサンドロフスキー」宮殿と呼ばれることになりました。



 アレクサンドロフスキー宮殿。 建設年: 1792—96。
この宮殿には、最後のロシアの皇帝ニコライ2世が12年間( 1905 -1917 )住んでいました。 この期間は、彼の治世の最後の時期にあたりました。  そしてロシアの歴史を根本的に変えた革命が起こりました。




アレクサンドロフスキー公園のゴシック建築

アレクサンドロフスキー庭園を歩くとゴシック様式で建てられた建物が目に入ります。
この記事は二つのゴシック塔について少し話をします。

 白い塔

   
 白い塔は1827年に建てられました
       この白い塔については屋上が展望台として使われていることを最初にお話ししたいのです。
そこからプーシキンを見渡すことができます。 暖かい季節にだけ営業しています。
展望台は月曜日と火曜日は定休日です

この塔は戦争ゲームのために建てられました。    皇帝ニコライ一世の四人の息子の遊び場でした。
大祖国戦争で破壊されましたが、最近、再建されました。






シャペル


シャペルというゴシックの塔は、この公園でもっとも神秘的な建物かもしれません。
昔ここには皇室が所有していたイエスキリストの彫像がありました。


1828年に、その彫像のためにシャペルが建てられました。

彫刻の作者はドイツの彫刻家Danneckerです。
また、皇室に贈られたエジプトの石棺も収められました。

現在はイエスの彫像がエルミタージュに保存されていると聞きましたが、それが本当かどうかは、わかりません。
エルミタージュ美術館のサイトで調べてみましたが、それについての情報は得られませんでした。


残念ですね!神秘的で綺麗な彫像、一度見てみたいな!






 この塔については多くの伝説があります。
 これは本当かどうかは分かりませんが、マッソンがシャペルによく来たそうです。
 そして、最近では、オウム真理教のメンバーがここで集会したといううわさがあります。
この中に入ることができません。











*
このような塔が庭園のさまざまな場所にあります。
シャペルはちょっと見付けにくいですが、あきらめないでください。 シャペルはちょっと見つかりにくいですが、あきらめないでください。
庭園の地図を使ってみてください。


 中国村

 アレクサンドロフスキー庭園にゴシック様式のものだけでなく、オリエンタル風に作られたものあります。18世紀と19世紀の変わり目にヨーロッパでシノワズリと呼ばれ中国風の様式が流行しました。
中国村

エカテリーナ2世の治世中にこの建設が始まりました。しかし、エカテリーナ2世の死、建設は中されました。
9世紀には中国の村は客室として使用されました。



戦争中、破壊されました。

 最近、あるデンマークの会社は、それを修理しました。その代わりに、村の49年間の所有権を手に入れました。
デンマークの会社に属している村に入ることができません。




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中国風で作られた素敵な二つの橋があります! 最近修復されました。
この橋は特に秋に素晴らしく見えます。



復元前は、このような状態でした。


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でアレクサンドロフスキー庭園について終わります。もちろん、これアレクサンドロフスキー庭園ての紹介ではありません。
でも、観光客が少しでもこの庭園に興味を持ってくれれば、うれしいです。
後々、もっと詳しくにアレクサンドロフスキー庭園について話す機会があるかもしれません。 いつかこの場所に戻ってもう一度話してみます。
今はもう少しの散歩の時の写真をご覧ください:

竜の橋

  

  






 





つづく
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プーシキン。第二部  
プーシキン。第三部 
プーシキン。第五部 

 

 

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