10 Oct 2014

プーシキン 3。 「ツァールスコエセローにおける銀杏の日」。




プーシキンの郊外を散策していて、数ヶ月前にここで行われた素晴らしいイベントを、私は思い浮かべていました。  ここで銀杏の苗木の移植が行われました。ロシアでは日本銀杏はほとんど生えていませんので、これも一つの試みだと思います。
幸せなことに、私は このイベントに参加できました。 その時にこのイベントについてブログ書きました。http://tanushinpiter.blogspot.ru/2014/06/blog-post_5.html
 

 

前に紹介したフョードロフスキー ゴロドクからそれほど遠くない場所で、このイベントが行われました。 その場所は、ここから歩くと20分ぐらいかかると思います。今は、そこに行きませんが、このイベントに間接的ですが関わりのある建物について少しお話します。

Akademichisky prospect, 23


この建物はフョードロフスキー 大聖堂近く、フョードロフスキー ゴロドクの部であると言えます。
その建物の建設もニコライ2世の治世の最後の年に始まりました。ニコライ2世の近衛隊用の新しい兵舎として建てられました。  これは、綺麗で奇抜な企画でしたが、革命のため完成しませんでした。
  1917年の革命後この建物は、サンクトペテルブルク農業大学の所有となりました。 この「兵舎」は、現在もサンクトペテルブルク農業大学に属しています。サンクトペテルブルク農業大学経済学部がここにあります。

イベント「ツァールスコエ・セローにおける銀杏の日」の主催者は、ニキータ・セレズニョフという方です。 彼は日本で沢山の旅行をして、日本と深いつながりをもっている人です。
 
 今、彼は旅行会社を持っています。日本旅行専門の会社です。http://www.openjapan.ru/

 銀杏の植栽は、ニキータが自ら手がけています。  彼は、日本から種子を輸入して、ロシアのさまざまな地域へもそれを分配しています。
  
  ニキータはこの農業学院の社長と学院に属している土地へのイチョウの植栽について掛け合いました。  これが、銀杏をここに植えられるようになった経緯です。

 銀杏は「東京都の木」に選ばれていると聞きました。
この記事の下のコメントをこけも引用させてください。
「また、1989年に選ばれた東京都のシンボルマークはTOKYOの「T」を基にしているそうですが、銀杏の葉のようにも見えるデザインです。実際、多くの東京の人たちが「銀杏マーク」とも呼んでいるそうです」

最近、私はニキータの銀杏を見るために、再び、プーシキンを訪れました。
 そのときにこの写真を撮りました。

 
まもなく、長いロシアの冬が訪れますので、 銀杏が、無事に冬を乗り越えることを願っています。
今年の夏にニキータはたくさん銀杏を植えました。
これらが、成長して、その木陰を散歩する時が来ることを、私は楽しみにしています。
そして、ニキータの森の木の中に、あの春の日に、私たちが植えた銀杏もあることを願っています。


プーシキン。 第一部  http://tanushinpiter.blogspot.ru/2014/09/blog-post_28.html
プーシキン。 第二部  http://tanushinpiter.blogspot.ru/2014/10/2-feodorovsky-gorodok.html
プーシキン。 第四部  http://tanushinpiter.blogspot.ru/2014/10/4.html
 プーシキン。第五部




4 comments:

  1. いつも楽しく読ませていただいております。また、こまめに文章なども直されて読みやすくされています。感謝しています。その上で、お願いですが、東京都と銀杏の関係については、次のように直していただいた方が良いと思います。
     銀杏は「東京都の木」に選ばれていると聞きました。また、1989年に選ばれた東京都のシンボルマークはTOKYOの「T」を基にしているそうですが、銀杏の葉のようにも見えるデザインです。実際、多くの東京の人たちが「銀杏マーク」とも呼んでいるそうです。

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    1. ご説明とコメントを本当にありがとうございます!!
      私はあなたが言う通り書き直します)

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  2. 5年後、10年後、20年後…
    無事に育ってたくさんの実を付ける光景を信じています♪
    Shigeo

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    1. そうですね!コメントをありがとう!

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