Церковь Богоявления (Гутуевская) Адрес: Двинская ул. 2 |
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今週、サンクト・ペテルブルグで、日本の歴史に関係がある正教会をみつけました。そのような正教会 があることを知って、驚きました。その教会は街の中心部から離れていて、ほとんど知られていません。 そのあたりは魅力的ではないので、 観光客はそこには行きません。 私のかかりつけの歯科がその地区にあるので、私はその辺に時々行きます。先週、私は初めてその教会に入りました。
しかし、その内装については、後で話します。この教会は、日本の歴史にどのような関係があるのでしょうか。 教会の歴史を調べてみました。教会が建てられた原因は、大津事件でした。
ご存知でしょうか。
ロシア帝国皇太子 は1891年に日本を旅行していました。ある日本人の警察官が彼を殺そうとしました。
皇太子は サーベルで負傷しましが、命は取り留めました。彼が救われたことに敬意を表してその教会が建てられました。 事件の3年後、その皇太子は最後のロシア帝国の皇帝になりました。
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ソ連時代には、他の多くの教会と同じように、グトゥーエフスカヤ教会も閉鎖されていました。 戦争中には、教会の建物は ひどく傷んでしまいました。 さらに、ソ連時代には、せっけんを作る工場として使われました。
現在、 教会の修復が進められています。 もう教会として使われています。
正式には、主顕節教会といいます。グトゥーエフスカヤという名称はそれがあるグトゥーエフスキー島 (Gutuevsky)から来ています。
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足を踏み入れた瞬間、私はとても感動しました。まだ復元中ですが、それでも教会の内部はとても綺麗でした。壁画がある壁とまだ壁画がない壁は互いに組み合わせていました。 写真を撮りたくなりました。その目的のため、先日私はカメラを持って行って、またそこに行きました。
これらの写真を撮るために私が耐えなければならなかったことを知っていただけさえすれば...
最初は、教会の店の店員は私に写真を撮ることを禁止しました。
そして、ある教会の僧侶が、司祭様から祝福をお願いする方法を私に教えてくれました。
そうして私は、司祭ご自身に祝福をしていただきました。
私が教会の中にいる間に、いろいろとありましたけど、長すぎる話なので、ここでは書かないことにします。
とにかく、私は幸せでした。私の目標も達成できました。 写真を撮ることができて、とても感謝しています。
百年の歴史があるその教会は、ヴァシリー・コスヤノフという私の好きな建築家によって建てられていました。 ヴァシリー・コスヤノフは、傑出したロシアの建築家であります。 彼の作品は文化的に高い価値があります。 その上、彼はただ建築家というだけではなく、サンクト・ペテルブルグの建築大学の学長でありました。 彼は亡くなるまで、その役職を務めていました。彼の教会や大聖堂は、博物館の役割もしているようです。
次回、サンクト・ペテルブルグにある彼の作品についてまた書きます。ところで、私は彼の作品の一つについて以前に書いています。
もしよろしければ、ご覧ください。Uspenskaya
hi, Tania! 育弘です!今回の正教会のチャペルの写真も大変美しいですね。大津事件については、たしかメールかこのブログで少しあなたとお話ししましたね。あなたは司馬遼太郎という、日本の国民的歴史小説家をご存知ですか?彼の記念碑的大作に『坂の上の雲』という、日露戦争を描いた作品があります。この作品の内容については、ミリタリズムやイデオロギーの影響を受けているか、受けていないかという議論が日本国内でいまだに続いていて、大変問題作でもあります。『坂の上の雲』では、日露戦争に至るまでの日本とロシアの政治的なかけひきなどが描写されていますが、その中で大津事件について触れていたかどうか覚えていませんが、大津事件以来ニコライⅡ世が公式文書で日本人と書く場合「猿」という名称を正式文書に使っていたことは有名ですね。もっとも、当時は日本は新興国・後進国でしたから、ロシア人のみならず、アメリカ人・イギリス人・フランス人・ドイツ人や他の列強の国民たちから見たら、やはり日本人のやっていることは「東洋人の猿真似」のように見えたでしょうね。ただ、私たち日本人があなた方に理解していただきたいことは、当時の日本人たちは真面目に命がけで西洋と共通の文明を持つための努力をしていたということです。幸い私たち日露の友人同士は、現在お互いを理解して良き友人になりたいと望んで努力しています。この僕たちの草の根の活動がいつの日か世界を変える力になればよいと、僕は祈っています。 p.s.ニコライⅡ世は日本人を猿と呼んでいたようですが、日露戦争の開戦には消極的だったと聞いています。彼はロシア革命で銃殺刑になってしまいますね。僕は少し彼に同情する気持ちがあります。
ReplyDeleteこんにちは!私のブログでコメントしてくれてありがとう。
Deleteニコライは日本人について悪く思っていませんでした。
これは誇張されました。ロシアは、その他にも多くの問題がありました。
でも、ニコライは、その事件の後、大変頭痛で一生悩んでいました。
その痛みため、事件を忘れることができなかったと思います。しかし、それは彼の個人的な問題でした。
日本人の方へ侮辱的な言葉を使っても (実際に、それが正確に知られていない)、それが大津事件のせいではありませんでした。
ということは、大津事件は日本へのニコライの悪い態度 の理由ではありませんでした。
こんばんは。こちらの教会もとても興味深いです!教会の全体的な色が、よく見る教会の色と違っている感じです。。教会の内部にはニコライ2世を描いた絵も飾られているのでしょうか? グトゥーエフスキー島は中心部からかなり離れていますか? 次回のロシア旅行で訪問すべき場所が増えました!
ReplyDeleteこんにちは!この記事も読んでいただいてありがとうございます。ニコライ2世の絵がないようです。中心部から近くありません。Narvskaya駅から20分ぐらいです。そして、地図がないと見つけないかもしれません。アドレスはDvinskaya 2.
Delete徒歩で欲しくない場合にはBaltiyskaya駅からバス(К-67)で行けます。その教会を通ります。確かに、ここは綺麗な教会が沢山あります。中心部に遠くないとても綺麗な教会もあります。機会があったらその中にも入ってください。http://tanushinpiter.blogspot.ru/2013/04/blog-post_9109.html
この記事には、その教会の内装の写真があります (記事の終わりで)。もし、またペテルブルグに来たら、訪れてください。http://tanushinpiter.blogspot.ru/2014/01/2014119-this-post-is-still-under.html
こんばんは。クツエフスカヤ教会への行き方を教えていただき有り難うございます!前回泊まったホテルがアジムトホテルだったので、バルチースカヤ駅から中心部へ行ってました。そこからバスで行けるのですね!あの駅の近くのスーパーマーケット、レンテ?の事をよく覚えています。 ナルフスカヤ駅の方へは一度も行ったことがないです、私が持っているガイドブックにはナルフスカヤ駅近くの地図が載ってません。 他の教会のブログも読ませていただきますね。また、コメントさせて下さいね!
ReplyDeleteまたコメントしてくれてありがとう!
Deleteええ、レンテはそこにあります。
アジムトホテルに泊まったんですね。むかしSOVETSKAYA(ソ連)ホテルといいました。最近名称が変更されました ( 2005 年に)。
アジムトは聖イサク大聖堂の展望台からも見えますね。
アジムトから教会まで2、5kmぐらいです。