正教会について話すのはしばらくの間止めたかったのですが、 昨日 予想外に司祭とメールすることになりました。 その内容を伝えたいです。 その司祭は、前の投稿に書いた教会の司祭です。
外国人が正教会を自由に入ってもいいかどうかを彼に尋ねました。
彼は「もちろん、ご遠慮なくどうぞ」と答えました。
そして、彼は、私が日本人と交流があることを知って、 喜んでいました。
彼は、日本史に関係があるロシアの人物について話していました。今週の日曜日は、正教会ではニコライ・ヤポンスキ(日本のニコライ)という人の記念日です。 http://goo.gl/J92xD
ニコライは、1861年に日本に行き、日本正教会の創立者になりました。キリスト教を教えるために、 早急に日本語を習わなければなりませんでした。 毎日、一生懸命日本語を勉強していました。 三年後、 ある日本人が、洗礼を受けて、日本で初の正教徒となりました。 彼はかつては武士であり、神道の神職でもありました。 彼の名前は沢辺琢磨です。http://goo.gl/tnIwKT
また、司祭は、私を今週の日曜日に行われるニコライ・ヤポンスキのミッションをテーマにした会議に招待してくださいました。
ロシアと日本の異文化交流への彼の貢献 をそこで議論します。
この会議に、サンクトペテルブルクの日本総領事館の文化副領事が特別ゲストとして参加するようです。面白そうですが、私は、たぶん、行かないと思います。 彼は友達を連れてきてもいいと言っていたけど、それに興味を持っている友達を見つけられませんでした。
一人で行くのはちょっと欲しくありません。
とにかく、ニコライについて、私の日本人の友達に話すと私は彼に言いました。 それで、この投稿を書いています:)
hello, Tania! 育弘です。今日のニコライ神父についてのブログは素晴らしいと思いました。大変感銘を受けました。あなたが日本について本当によく勉強してくれていることが分かり、僕は大変うれしいです。江戸時代末期に来日したニコライ神父について、僕は以前なにかの本で読んだことがあります。江戸時代は、日本人は外国人と交流がありませんでした。江戸時代、日本人は日本領土から出ることは国家の禁制でした。それはキリスト教が入ってこないようにするための徳川幕府の政策でした。いわゆる「鎖国」です。そのため、外国人にとって日本人は未知の文明をもった国民だったようですね。「鎖国」下の日本で、漁村に住む漁師たちが漁の際にしばしば海の沖合で遭難してシベリアの方へ漂着したり、アメリカの船に助けられたりしたようですね。当時のロシア人は日本人との貿易や交易を望んでいたようで、日本のことをもっと知りたいと思っていたのですね。彼ら当時のロシア人はシベリアに漂着した日本人の人格の気高さを尊敬し、変わった髪型や小柄な体格を笑ったりせず、日本語と日本の文明・文化を学んだと聞きます。その噂は女帝エカチェリーナの耳にまで入り、ロシア人が日本と交流したいという気運が高まりました。ニコライ神父は、ロシアに来た日本人と同じ気高い人格の日本人を探しに日本に来る決断をしたと聞いています。Tania, どうかこれからもニコライ神父のことを時々ブログやメールで教えてくださいね!育弘より
ReplyDelete暖かい言葉ありがとう!あなたは歴史に本当に深い興味があるようですね!理由があれば、もちろん、ニコライ・ヤポンスキについてまたブログで思い出します。
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