ある日、変わったカフェに入りました。正直言って、一人でカフェにいるのは好きではないけど、このカフェのインテリアに関心を持ったので、少しの時間ここで過ごすことにしました。しかし、ここではインテリアだけでなく、 雰囲気やサービスも変わっているので、それについて語りたいと思っています。
不親切なバーテンは私の来るのが嬉しかったではないように見えました。私が彼に話しかけたとき、彼は私を見もしませんでした。彼が言ったのは「何を?」という言葉だけでした。幸いにも、彼は別の店員に私の担当を任せしました。その店員は親切そうに見えましたが、チェシャ猫のようにずっと笑みを浮かべて話していました。彼はとても若かったけど、くだけた言葉づかいで、無造作に話していました。もちろん、そのことは私にとって問題ではありません。でも、彼は私に「君」と言うたびに小さなポーズをして、私の反応を観察していたようです。私としては、彼のこと、正確には、彼がいかに私を見ていたことかを見ているのが面白かったです。自宅にいるようにくつろいで、したいことを何でもしてもいいのだと彼は説明してくれました。しかし、私が欲しかったものは、コーヒーだけでした。コーヒーメーカーを掃除しなければならないので、コーヒーは15分後になると言われました。私は待とうと思って、席につきました。
カフェには、客が少しいました。皆、何か(チェス、ノートなど)に没頭しているようでした。私は何もすることがないと思いました。ホールを見回しました。
そこにはレトロ様式の古い家具が沢山ありました。
また、いろいろな楽器(古いグランドピアノ、バラライカなど)、変な衣服の店、休むための場所(ベッド)、風呂とその中にある毛布のようなもの(ロシア人だけにとっては無理もないもの)などもありました。
面白そうなものがいっぱいあったけど、その前にお酒を沢山飲まないと、どれもあまり面白くないかもしれないと思いました。
そして、店内のあちこちに、古くて止まったままの時計がありました。それがちょっと気が滅入ると思いました。
服を売っている店 |
突然、開いた窓から入ってくる風で寒くなったので、席を替わりました。
その後すぐ、もう一人の店員が私のほうへやってきました。もう一度席を替わるように言いました。
彼はこのテーブルも、椅子も、さらに私の足元にあるカーペットも、今夜のパーティーの小道具になることを私に説明しました。彼が言った通りにしましたが。ここに来てまだ10分だけど、もう3度も席を替えていると私は彼に文句を言いました。彼はそれを聞いたとき、心からの同情をもって私を見ました。今日誰も君と知り合いになりたがっていないのかと彼がいきなり聞きました。
私の言葉は、異なる方法で解釈することができることに驚きました。
彼が家具を移動している間、くだけた会話を続けていました。 あと、やり残しているのは敷物を移動することだけです。
敷物 |
埃 |
私ももうすぐこの店のほこりっぽい古美術品の一つになるのだろうと思いました。
いきなりバーテンの声がして、私は現実に戻されました。 オーダーをとる準備ができましたと告げました。 私と、他の三人のお客がバーに行き、注文をしました。
それから、私達は席に戻りました。そして待ち続きます。
ここは、本当に時間が止まっているようだと思いました。 私の思考も止まってしまいそうでした。 こんなに長い間コーヒーを待っていたのは初めてです。私は疲れました。
ここは普通のカフェではなく、タイムカフェだと突然覚えました。
そのようなカフェを、ロシアでは「anti cafe」とも言います。
タイムカフェとは、過ごした時間の分だけ代金を支払うカフェです。
クラブのような場所で、コーヒーしか飲まないということは、想定されていません。 私は本当にバカです。
うつうつとそのことについて考えていました。時々、通りがかりの人が誤って、ここに入ってきました。 彼らはここがどういう場所か分からず、早々に出ていきました。 バーテンは彼らの後ろ姿を見て笑っていました。 この場所では、時間が止まったことだけでなく、 人に対する親切もも寝ています。私は気がめいっていました。
その場所の雰囲気にとても疲れました。「私は今街の中心部にいる。 外は素敵な晴れた日だ.. 私は何のために何もしないでここにいるのかわからない」。
やっと、私のコーヒーができました。 私の人生の中で、 あんなに速くコーヒーを飲んだことはないと思います。すぐにそこから出たかったからですから。費やしたお金のことでなく、 時間を無駄に費やしたことを後悔していました。もちろん、時間が無駄に使われたのは私のせいだったとよく分かっていました。
カウンターにに行って、私はお金を支払うと言いました。でも、店員は私を無視しました。 しばらく待たされたあと、私は怒り始めました。会計を受けてもらわなければ、お金を支払わないで行くと言いました。その後だけ、私がカフェで過ごした分数が数えられたから、私は支払うことができました。 一時間そこで過ごしたことがわかりました。
しまいには、私のことが最初から気に入らなかった店員の軽蔑的な一瞥をもらいました。 しかし、そのことに気にしませんでした。自由が近いと気がしましたから。
やっと私は外で出ました。新鮮な空気を吸いました。
それがカフェとかアンティカフェとかにかかわらず、そのような場所は、レクリエーションのためにつくられたのでしょう。でも、そこを出て、解放された気がしました。
ネフスキー大通りはいつも賑やかです。すべてはここで動いています。
そして、ここで過ごす時間では、お金を支払う必要がありません。 活気がある私の好きな街 をまた見た時、私は癒されました。
この文章の添削はまだ終わっていなかった、ごめんなさい。
ロシア語 http://tanushinpiter.blogspot.ru/2013/01/blog-post.html
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