28 Aug 2013

ドストエフスキーのペテルブルグ。 part 2。 「罪と罰」の舞台となった場所を私の散歩


私は ドストエフスキーのペテルブルグの話題に戻ります。
「罪と罰」の舞台となった場所について話続けます。 先日、そのあたりで散歩していました。 何枚の写真を撮りました。
私の今日のルートはSennaya広場から始まりました。
この場所についてここで書きました。 http://tanushinpiter.blogspot.ru/2013/06/the-church-on-sennaya-square-in-st.html
 でも、もう一度振り返りますね。
この写真は地下鉄の出口で撮ったものです
Sennaya駅

近い将来にはこの青いフェンスで囲まれた場所に大きい大聖堂が建築されます。 想像できまか。私はできません。とにかく、今は大聖堂の建設が始まっています

「 ドストエフスキーの小説の「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフは、教会の前にひざまずいて、犯した罪を悔いていました」。「罪と罰」が書かれた当時には、ここに本当に大聖堂がありました。
でも、1961年に、ソ連政府の決定により それは爆破されました。そして、その跡地には地下鉄の入り口が造られました。
ソ連時代に爆破されたサンクト・ペテルブルグの教会のうち、そのラスコーリニコフの教会が最初に再建されたものになります。 サンクト・ペテルブルグは本当にドストエフスキーの町のようですね。
駅から歩いて5分で、Moskovsky prospectという通りが始まります。この辺にある飲み屋で、ラスコーリニコフは窓際に座っていた彼の教唆者( スヴィドリガイロフ)初めて会いました。


それらの建物の間に、今はデパートと市場の入り口があります。
ドストエフスキー時には、ここはホームレスのための大き安宿がありました。
ここは、この都市のもっとも不衛生で、もっとも犯罪の多い地区でした。警察でさえ、ここに立ち入るのを避けていました。
 警察が制御できないその地区は、犯罪の温床でした。













今まで本当に悪い場所ようです。ここで私のカメラ完全にバッテリーが切れてしまいましたから。
しかし、ちょうどその前に、何枚かの写真を撮るのに間に合いました。

ある中庭に入りました。  

       
ペテルブルグの古い住宅ひとつの特徴があります。 正面 2は美しいのですが、中庭は醜いのです

 














    またSennaya広場です。可愛いトラムですね。これは観光客向けのレトロトラムです。10月まで週末に街の中心部を走っています。

あそこの(トラムの前に)低くて白い柱がある建物も歴史があります。
 警察署がここに位置していました。 ドストエフスキーはある作品を無許可で出版したため、そこ2日間を拘留されました。


Grivtsova pereulok
 この通りで、ラスコーリニコフはリザの話を盗聴し、彼が殺したい人物(彼の金貸し)が一人で家にいる日を知りました。その話から金貸しが一人で家にいる日を知りました。












事故?




次の投稿でこの文章の続きを書きます

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