ドストエフスキーの小説の「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフは、教会の前にひざまずいて、犯した罪を悔いていました。その教会は虚構ではなく実在するものでしたが、1961年に市当局の決定により爆破されました。当時の建築家は、その大聖堂は芸術的価値がないと主張していました。1963年に、その場所に地下鉄の入り口が造られました。
実際にその大聖堂には歴史があります。 1761年に建てられました。サンクト・ペテルブルグの最も大きい大聖堂の一つでした。 大聖堂の内部も豪華だったそうです。 大聖堂はある商人の金で建てられました。その時、大聖堂は街のもっとも大事な広場の一つであるSennayaという広場の重要な一部となりました。
その広場はずっと市場として使われていました。そこでは主に乾草と薪を売っていました。広場に隣接する地区には貧困層が暮らしていました。
当時、サンクトペテルブルクは、ロシアの首都でした。
多くの宮殿や貴族のための壮大な建物が建てられました。でも、Sennaya広場とその周辺は、別のペテルブルグでした。 普通の人々のペテルブルグです。また、一杯飲み屋や売春宿、犯罪者が集まる場所などがここにはありました。
サンクト・ペテルブルグは、よくドストエフスキーの街として紹介されます。ドストエフスキーは、普通の人々について書きました。彼の小説の登場人物たちはここに住んでいました。実際には、ドストエフスキーはペテルブルグがあまり好きではありませんでした。彼は贅沢な首都がペテルブルグのすべてではないことを知っていました。 貧しい人々の暮らす地区に住んだことによって、ドストエフスキーは人生の底辺を目の当たりにすることができました。
その時、人々は非常に宗教的でした。
人生のどん底にいた人にとっては、大聖堂の存在が希望となり、よりよい将来への道を見出す 助けとなっていたかもしれません。
その教会は、その地方の嫌な雰囲気を少し和らげて いたと思います。大聖堂は、高齢者と孤児のための避難所として機能していました。
1960. before the explosion |
entrance to the station Sennaya Square |
を
最近、大聖堂の再建が検討され始めました。 大聖堂は、当時のまま再建されるようです。数年前、大聖堂の位置を正確に期すように、その場所で発掘調査が行われました。その結果、大聖堂の土台は、爆発でも損傷を受けなかったことが分かりました。建築家にとって、それは予想外のことであり大変な喜びでした。大聖堂を古いの土台の上に復元することに決まりました。
new project |
あるロシアの監督は、大聖堂の建設はラスコーリニコフの悔い改めのような行為になると言いました。 私たちが大聖堂を建てることによって、ソ連時代の建築家が行った過ちを償おうということです。
とても美しい建築ですね!
ReplyDelete罪と罰は読んだことがないですが、
今度図書館で借りて読んでみようと思います。
Masatoこんにちは! コメントありがとう!
Deleteじゃ、読んだら、その小説を気にいったかどうか言ってくださいね。