24 Mar 2013

ミハイロフスキー城


 パーヴェル一世というロシアの皇帝は陰謀によって殺されるのをとっても恐れていました。彼は皇帝に なった時からその恐怖に襲われました。それで、自分を守るために,宮殿を建てることにしました。その宮殿はパーヴェルのお母さんの夏の別荘があり、パー ヴェルが生まれた所に建てられました。「城」と呼ばれた新しい宮殿はパーヴェルの守護聖人  の名前にちなんで付けられました。  
その城は水に囲まれていました。跳ね橋を通してのみ城の領地に入ることができました。
しかしそのすべてが無駄でした。パーヴェルはそこで四十日だけしか暮らすことができませんでした。彼は 引越して四十日後に、自分の寝室で殺されました。
事件の後、パーヴェルの家族は以前住んでいた 宮殿に(ウィンターパレス)帰りました。城は長い間 誰も住みなくて,空のままでした。
城を囲まれた水路が埋められて、橋も取り除かれました。1820年ぐらいからその建物は技術学校となりました。
それでInzhenerny zamok という名前に変えられました。作家のドストエフスキーがその学校を卒業しました。
現在は博物館や展示会のホールとしても使われています。  
                                         

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