クロンシュタットは、フィンランド湾に浮かぶ、サンクトペテルブルクから約30キロの距離に位置するコトリン島にある都市です。
この町は、サンクト・ペテルブルグとほぼ同時期に設立されました。
コトリン島は、サンクト・ペテルブルグを守る要塞を建設するのに便利な位置にありました。
海軍要塞の町として創立されたクロンシュタットは、バルト海の艦隊の基地となりました。
1. クロンシュタットの創立者は、サンクト・ペテルブルグと同じく、ピョートル大帝です。
ピョートル大帝の記念碑が、彼にちなんで名付けられた「ピョートルブスキ」という公園にあります。
この公園は湾に面しています。ピョートルの記念碑も海の方を向いていました。
ピョートルはロシアが海軍力のある国にしょうと望みました。
ところで、ロシアにおける日本語教育はピョートル1世の下で始まりました。 最初の日本語の教師は伝兵衛という人でした。 商人であった伝兵衛は、1696年にカムチャツカ半島に漂着しました。 1697年にロシア人ウラジーミル・アトラソフの探検隊に発見されて、ロシア帝国のモスクワに連れて行かれ、1702年にピョートル1世に謁見しました。 伝兵衛は、ピョートル1世に日本についてたくさん話をしました。 ピョートル1世は日本に興味を持つようになり、伝兵衛に日本語をロシア人に教えるよう指示しました。
クロンシュタットから多くの船が遠征へと出港しました。そのうちの一つは1803年の、ロシアの最初の世界周航。 遠征の目的の一つに、日本との貿易の確立がありましたが、交渉は不調に終わりました。
その後、ゴロウニンや高田屋嘉兵衛を巡る交渉などがありましたが、通商関係を樹立することはできませんでした。
1853年にエフィム・ヴァシィリエヴィチ・プチャーチンを提督とする艦隊が日本に向けてクロンシュタットを出港しました。彼による交渉は成功し、日露和親条約が結ばれました。
現在、クロンシュタットには日露の友好関係の始まりを伝える顕彰碑があります。
碑文は
「皇帝ニコライ一世の命により、E・V・プチャーチン海軍中将は、1852年10月、クロンシュタット港を出港したフリゲート艦「パラーダ」号で、1853年8月、長崎港に到着した。1854年12月、E・V・プチャーチンは、フリゲート艦「ディアナ」号で下田港に到着した。プチャーチン海軍中将と筒井政憲、川路聖謨両全権との間で行われた交渉の結果、1855年2月、下田において、日露関係発展の始まりとなった「日露通好条約」が調印された。下田港に停泊中、「ディアナ」号は、津波の被害を受け大破し、駿河湾で沈没した。船員は、宮島村等の住民によって、全員救助された。日本人とロシア人の船員の協力によって、戸田港でスクーナー船「ヘダ号」が建造された。1855年「ディアナ」号の乗組員はロシアに帰国した。日露友好関係樹立150周年を記念して、この記念碑が建立された」
残念なことに、その50年後に戦争が始まりました。 クロンシュタットは日露戦争で戦死した水兵の記憶が残っている都市でもあるのです。
3.
ピョートル大帝の記念碑がある公園に 記念碑もあります。
これは日本海海戦で戦死したバルト海の艦隊の水兵を記念しての記念碑です。
日本戦艦の砲弾で開いた穴から二つのロシアの戦艦が見えます。左下に「三笠」と書いてあります。
4.
クロンシュタットの主な名所であるニコライスキマルスコイ聖堂に行きますと、この聖堂のある広場で、日露戦争に関係するもう一つの記念碑が見られます。 それは、 日露戦争で戦死した提督ステパン·マカロフの記念碑です。
彼については、すでに、以前の記事の中で、お話しました。日露戦争が始まると、彼は旅順艦隊司令長官に任命され、爆沈された戦艦「ペトロパブロフスク」と運命をともにして、1904年3月1日に戦死しました。
マカロフの記念碑の浅いレリーフの中には、戦艦「ペトロパブロフスク」の最期の姿も描かれています。
クロンシュタットの有名な大聖堂は死んだ水兵たちに敬意を表して記念碑として建てられました。 ニコライスキマルスコイ聖堂は主な観光名所のうちのひとつです。
ニコライスキマルスコイ聖堂の建造は1902年に始まりました。そのとき提督ステパン·マカロフは建造委員会の委員長に任命されています。
約十年掛かった建造は1913年に完成されました。
聖堂のドームが遠くから見えたので、船のための標定点でありました。
聖堂内には、沢山のプレートが壁に掛かっています。 そこには亡くなった船員たちの名前が書いてあります。日露戦争の戦没者を記念して、記念板が入り口の左に掲げられております。
この壁は日露戦争について伝えます。 |
現在聖堂は主に海軍博物館としても機能していますが、礼拝も毎日行われています。
この鳥瞰写真で、大聖堂がある広場にはいかりが描かれていることが見てとれます。
こんにちは。五月に娘と一緒に、プチャーチンやゴシケーヴィチに関する本やゴンチャロフが書いた旅行記を少し読んだので、こちらのクロンシュタットにとても興味を持っていました! otmaa
ReplyDeleteこんにちは!
Deleteひさしぶりですね!
私はゴンチャロフのフレガート「パルラダ」をまだ読んだことがありませんが、読みたいと思っています(^_^;;;)
クロンシュタットの大聖堂をぜひ見に来てください)