23 Dec 2014

ヴォスクレセンスキ・ノヴォデヴィチ修道院













1.
サンクト・ペテルブルグの修道院中でもっとも有名なものはアレクサンドル・ネフスキー大修道院です。
そこは観光客にもよく知られている名所です。この人気の理由の一つはドストエフスキーとチャイコフスキーの墓がそこにあるからというものです。
しかし、サンクト・ペテルブルグにはもう一つの有名な修道院と ロシアの生んだすぐれた文化人たちが埋葬されている墓地があります。
 この修道院は、ヴォスクレセンスキ・ノヴォデヴィチといいます。
1764年に建設されたヴォスクレセンスキ・ノヴォデヴィチ修道院は、最初は バシリエフスキー島にありました。そして、1849年に修道院のために新しい用地が与えられました。
現在ここはモスクワ大通り(モスコヴスキ・プロスペクト)が通っています。 ここはかなり賑やかな街の一部です。当時は、ここは市の境でした。
ここに修道院のために堂々として調和のとれた建物群が建てられました。


  


 










2.
修道院の地にはビザンチン様式で建てられた教会があります。この教会はヴァシリー・コスヤノフという私の好きな建築によって建てられました。一度ならず彼の作品について書きました。

ヴァシリー・コスヤノフは傑出したロシアの建築家であります。 彼の作品は高い文化的な価値を持っています。サンクト・ペテルブルグにある彼のすべての作品について今後記事を書きたいと思っています。
 ヴァシリー・コスヤノフこの教会の前に埋葬されています。


この教会に 是非入ってください。


カザン教会


3.
ある日本人の友達のおかげで、ひとりの日本人女性がこの修道院に深く関係していることを知りました。この修道院に、ロシアに留学に来た最初の日本人女性となった山下りんが宿泊していました。
 ロシアに来る3年前に、彼女は日本で正教会に改宗していました。   教会の画家を志したりんは、ロシアで聖像の技法を学ぼうとしていました。  彼女は1881年にサンクト・ペテルブルグに着きました。りんがペテルブルグに到着した3日後ロシアの皇帝アレクサンドル2世が殺されました。


りんのここでの生活はとても困難でした。
りんはイタリアの絵画を好み、エルミタージュへよく行きました。伝統的なイコンの画法はあまりにも幽霊のようで、もっと写実的な画法で描きたかったのです。このために修道院の院長とのいさかいが起きました。院長は彼女がエルミタージュに行くのを禁止しました。そのうえ、りんはペテルブルグの気候に慣れることができず、よく病気になりました。また、彼女が片思いに苦しんだという話もあります。

五年間ここに滞在する予定でしたが、変更して、二年後、日本に帰りました。
帰国後彼女は、日本の正教会のためイコン製作に没頭し、多くのイコンを作成しました。   りんは日本人最初のイコン画家になったのです。
 残念なことに、ニコライ堂に保管されていた彼女の最高作品とされるイコンの多くが、1923年の関東大震災で焼失しました。
ところで、将来の皇帝ニコライ2世が1891年に日本を旅行した際に、りんは彼に自分が作ったイコンを献上しました。 このイコンは、エルミタージュに今も保管されています。

   
3.
ソ連時代には、大半の教会と同じように、この修道院も廃止されました。
修道女が暮らしていた建物は改造され、鐘楼は破壊され、墓地にあった二つの教会も撤去されました。
 ソ連時代にもっとも荒らされたものは、修道院の墓地です。 19世紀では年に最も高級なのある墓地のひとつでしたが、ソ連時代にはたくさんの墓が略奪されました。アートキャストフェンス、石棺、御影石や大理石の石碑、十字架、オベリスク、歴史的な墓石、彫刻などの多くが持ち去られました。

これは墓ではなくて、ここに以前教会があった記念の十字架です。


今でもこの墓地の多くの墓がひどい状態のままです。






この墓地にたくさんのロシア文化史に名を残した人物が埋葬されています。
この墓地で特に有名な人物たちの墓のなかには、詩人のニコライ・ネクラーソフやフョードル・チュッチェフの墓もあります。
ニコライ・ネクラーソフの墓
作曲家リムスキー・コルサコフも、最初は、ここに埋葬されましたが、後にアレクサンドル・ネフスキー大修道院の墓地に改葬されました。












4.
市民にもっとも親しまれている墓は、ある女性の墓です。
それは、 アンナ・ヴェルシニナの墓です。 彼女はある将官の妻でした。 伝説によれば彼女は死ぬ前に、誰も自分を思い出してくれないだろうと悲しんでいました。    そのため彼女の夫は彼女の墓の上にイエス·キリストの彫像を据えました。 その結果、このキリスト像に祈りを捧げるために、その後数十年間に渡って、この女性本人とは面識のない人々がたくさんこの墓を訪れることになりました。 ソ連時代にほとんどの教会が閉鎖されたので、ここが彼らにとっては教会の代わりの場所になったのです。 現在でもこの伝統は続いています。この墓には絶え間なくろうそくが燃えています。








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修道院の中庭には手頃なカフェがあります。
パンもそこで買えます。 


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住所は モスコヴスキ・プロスペクト, 100

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