9 Jan 2015

日本文化の催し 。秋2014。


 2015年、始まりました。昨年私のブログを読んでいただいたことにとても感謝しています。ありがとうございます。
そして、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年は日本の催しがたくさんありました。しかし、私は以降、のことについてほとんど何も書きませんでした。
この記事では秋にあった日本文化のイベントについて手短にお話します。
たくさんイベントがありましたが、私が参加したものについてだけ書いています。



  東北: 自然、人々、日常の生活

9月に東北地方をテーマとする写真展に行きました。 そ開会式には、日本の総領事(Yoshihiro Yamamura)も出席しました。

東北は2011年3月11日の地震によって最も被害を受けた地域です。東北地方は、地震のおかげで世界中に名を知られました。
しかし、この地域の文化や自然などについて知っている人少ないです。
展示会の写真は地震が起きるまで撮られたものでした。 展示会の目は、東北の住民の生活、習慣、自然などを紹介することです。


また、 展示会の写真と写真家を紹介する本をもらいました。



Teisuke Chiba
Teisuke Chiba




 .諏訪内 晶子

そして、 日本人のバイオリニスト諏訪内 晶子の演奏を聞くためにフィルハーモニーに行きました。






諏訪内晶子さんは、いろいろな国際コンクールで賞をとっていると聞きました。 そのコンサートで諏訪内 晶子はチャイコフスキーの曲を奏しました。

ところで、最近小野アンナ(アンナ・ブブノワ)というロシア女性バイオリニストについて読みました。
彼女は日本のバイオリンの学校の創立に大変な影響を与えました。
彼女は、サンクト・ペテルブルグに留学していた小野俊一という日本人と結婚して、1918年に日本に移住しました。  彼女は日本の子供たちにバイオリンのひきかたを教えました。

ところで、小野俊一は、オノ・ヨーコの叔父にあたります。 そのため、ロシアのアンナ・ブブノワ・小野はオノ・ヨーコの叔母にあたります。





 マニフェスタ10

 西野達

 2014年にサンクト・ペテルブルグで、六月から十月までマニフェスタ10という現代美術展が開催されました。舞台はエルミタージュ美術館。二人の日本人も参加しました。西野達と森村泰昌。

西野達はエルミタージュのホールソ連時代の部屋をインストールしました。


構図の中央にこの部 屋のインテリアとしてに取り込んだエルミタージュのシャンデリアがありました。


宮殿の器具が、ごく普通の庶民の家の飾りになりました。  普段,公共物として一般市民から隔絶されているシャンデリアが、普通の家の家具として、私的な空間の一部にりました。
西野達は、モニュメントを囲み、新たな空間を創造するという、大がかりなインスタレーションを数多く制作しています。
彼の他のインスタレーションをインターネットで見てください。サンクト・ペテルブルグでは彼が皇帝の彫像などをを利用することは許可されませんでした。
そのため、エルミタージュの歴史的なシャンデリアを使うことになりました。

森村泰昌

 
森村泰昌のインスタレーションは写真による制作です。
森村泰昌の写真制作によるインスタレーションのテーマは、大祖国戦争とエルミタージュです。  戦争中、街がドイツ軍に包囲されていました。 エルミタージュの絵などは避難されました。
壁には空の額が掛かっていました。
街がドイツ軍に包囲されていた頃のエルミタージュに描かれた図面が残っていました。










この図面が森村泰昌の写真製作の基盤となりました。

この写真では軍服を着ている森村泰昌自身がその図面を描いた画家として登場します。
 
 






この写真では現代も写し出されています。   過去と現代はが合併されています。戦時中のように空のフレームと同時に現代博物館の訪問者。




ナタリア・マクシーモワ



またロシアの画家ナタリア・マクシーモワの展示会に行きました。  その展示会ではマクシーモワさんが日本を旅行中いた絵が展示されました。
彼女自身が展示会出席し、自分の制作について話していました。



彼女の絵には大分県の竹田の景色と神社が、描かれていました。


この展示会のおかげで竹田出身の広瀬武夫という人物について知りました。  彼は1897年から1902年まで、サンクト・ペテルブルグでロシア語などを学んでいました。
広瀬武夫はロシア駐在武官となってロシア船、武器、ポート、鉱山やラジオについて情報を日本へ伝えました。




広瀬神社



マクシーモワさんは、芸術を通して、日本文化の普及に貢献しました。そして、日本政府は、日本とロシアの間の文化交流を促進した功績に対して、マクシーモアさんに旭日章を授与しました。


 Yamato

 昨年の秋、私はまた日本の伝統的な音楽を聞く機会を楽しみにしていましたが、日本からサンクト・ペテルブルグに誰も来ませんでした。幸いなことに、 日本太鼓の楽隊が来ました。  Yamatoという音楽隊です。 このような演奏が、日本文化伝統的なものかどうか知りませんが、太鼓の響きが素晴らしくて、それをを聞いているのは幸せでした。











茶道

昨年の秋に私は運がよかったので、とても珍しい催しに訪れることができました。 これは日本マスターが行われた茶道です。 桂裕子さんは茶道流派の教授です。
この茶会には、日本の総領事も出席しました。
ところで、私の街で茶道を教えている学校があります。 この学校の生徒も茶道に参加しました。





 日本映画のフェスティバル

 日本映画のフェスティバルも行われました。最初のフェスティバルには回顧上映で、岡本喜八の製作が上映されました。私は、「大誘拐」と「助太刀屋助六」をました。

それから現代日本映画のフェスティバルもありました。
私がた映画は、「あなたへ」です。最近亡くなった高倉健がこの映画に出演していました。彼は、200以上の映画に出演したようで、「あなたへ」は、彼の最後の映画となりました。
 

クリスマス氷上舞踏会

興味深い事実: 廣瀨武は、ペテルブルグに住んでい間にフィギュアスケートも学んでました。冬には毎日スケートをし、上手になりました。 
 彼が日本に帰ったときフィギュアスケートの要素について日本人に教えた最初の日本人の一つとなったという話しを聞きました。
私は、大君という日本語の学校によって行われたクリスマス氷上舞踏会というイベントで参加しました。日本人の友達もたくさん参加していました。参加者の中には、初めてスケートをした人もくいました。私もスケートが全然上手ではありません。
それはとても楽しくて面白い催しでした。




幸せな年の締めくくりとなりました。


2 comments:

  1. Hi, Tania! お久しぶり!育弘です。頑張ってブログを続けていますね!今日のブログの中で、大分県の竹田の絵について、あなたは述べていますね。僕は竹田の街が大好きで、今までに4回ほど訪れました。竹田の街は、司馬遼太郎という作家がその著書『坂の上の雲』で紹介しているので、日露戦争について関心のある人には良く知られています。また、竹田の街には、江戸時代に中川家という大名が住んで治めていた「岡城」があります。明治4年に、新政府の命令で日本全国の城郭が取り壊されたとき、岡城も取り壊されてしまいましたが、江戸時代の岡城は名城と呼ぶにふさわしかったようです。今でも城跡が残っていますが、大変美しいです。23歳で亡くなった明治の音楽家である滝廉太郎の代表作『荒城の月』の発想のもととして岡城は知られています。岡城の横に、広瀬武雄を祀った広瀬神社があります。広瀬は滝と親交があったようで、ロシア海軍の軍人の娘を恋人として付き合っていた広瀬は彼女に『荒城の月』を教えました。それから、あなたは和太鼓の楽団についても触れていますね。僕の住む奈良県の南部にも和太鼓の演奏を毎年決まった日に演奏する地域があって、それは大変古い奈良の年中行事です。YAMATOは日本語で「大和」つまり「奈良」のことです。あなたが奈良の文化に関心を持ってくれて、とてもうれしいです。またね!

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    1. 育弘、コメントありがとう!!
      私は、今『坂の上の雲』というドラマを観ています。
      そして、マクシーモワさんは、滝廉太郎についても少し話しました。
      奈良の和太鼓の演奏をいつか聞けば、嬉しいです)

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