11 Nov 2013

散歩の日記 2013/11/10 カザン大聖堂(2)






日ある日本人と会うために、街の中心部に行きました。
我々はインターネットで知り合いました。それ以前に彼に会ったことはありませんでした。彼が学生であることしか知りませんでしたが、日本語のネイティブスピーカーと会うのを楽しみにしていました。

しかし、私が待ち合わせの場所に行くと、そこに誰も居ませんでした。   待つほかに何もできませんでした。



カザン大聖堂の近くで会う約束をしていました。 カザン大聖堂についてここ書きました。

それはサンクト・ペテルブルグの主な大聖堂の一つです。
一年前私はこの場所日本人の友達と会った思い出しました。懐かしい思い出なのでさびしい思いをしました。

今回は一時間以上彼を待っていました。でも誰も来ませんでした。
何のためにそんなに長い間待っていたのかはっきり説明できません。誰も来ないなんて信じられないとずっと思っていました。彼は私を笑っているかもしれせんが、そんなことが本当に可笑しいだろうか? 

大聖堂
一人で散歩しようと思ったけど、私はとても寒かったです。まろうと思い、大聖堂に入ることにしました。
そこには暖かい空気がありました。燃えているろうそくの臭いがしていました。何かの礼拝が行われていたので、聖歌が聞こえてきました。 私もろうそくを灯したくなりました。正教会はアイコンがたくさんあります。何かをりして、そのアイコンの前にろうそくを立てる習慣があります。 でも、私はその時聖人にお祈りする特別な願いがありませんでした。  それに、聖人のことについてあまり詳しくありません。
どころうそくを置けばいいかと考えながら、いろいろなアイコンの前を通り過ぎていました。やっと、ある大きいアイコンの前に止まりました。

アイコン
そのアイコンが、どなたの画像か分かりませんでした。 Veniamin  Petrogradsky と書いてありました。突然、私の目から涙がこぼれました。単なるストレスだと思いましたが、ここそのようなことはいけませんすぐに気を落ち着かせて、私はそのアイコンの前にろうそくを立てました

 Veniamin  Petrogradsky
家に帰ってからその人物について少しんでみました。彼はロシアの主教でした。ということは、彼は聖書の中に存在する架空のではなく、実在の人物なのです。 彼は積極的な宗教指導者であり、たゆまず努力を重ねるビショップと呼ばれていました。しかし、1917年の革命の被害者になりました。 当時、ロシア正教会は厳しい時代でした。教会は閉鎖されて、多くの聖職者は処刑されていました。現在、彼は列聖されました。

婚配式

お祈りした後、  私はやっと周りを見回しました。 信じられないかもしれないけど、何の礼拝が行われていたやっとわかりました。大聖堂に入ったときは、人が多かったため、ホールの真ん中で起こっていたこと気づきませんでした。
それは婚配式でした。
その正教会の秘密を見るのは初めてです。教会で写真を撮るのは一般的ではありませんが、私は何枚写真を撮りました。
宇宙の中はバランスがあります。婚配式の礼拝を見ていて、私の気持ちも、バランスになってきました。






その日日本人との交流がなかったけど、また少し新しい知識を習得しました。とてもよかったです。



聖水

聖歌隊













4 comments:

  1. おかげさまで、ロシアの文化の一端を知ることができました。プロスィーバ。

    ReplyDelete
    Replies
    1. 私のブログを読んでくれてありがとう!
      私も日本語と日本人のおかげで、ロシアの文化についてもっと知ります)

      Delete
  2. Tanushaさん初めまして。chihiroといいます。(lang-8 ID602336)
    私は今年の夏、初めてサンクトペテルブルグに行きました。私はロシアのクラシック音楽や建造物が大好きなので、本当に楽しかったです。
    この記事を見て懐かしく感じました(*^^*)ロシアの人がサンクトペテルブルグについて日本語でブログを書いてくれるのはとても嬉しいです
    これからも読ませてもらいに来ます!

    ReplyDelete
    Replies
    1. Chihiroがペテルブルグに行ったことがあることを聞いてとても嬉しかったです。これからも私のブログを読んでいただければ幸せです!

      Delete