18 Sept 2013

散歩 2013/09/15。 リテーイヌイ大通り




今日私はまた街を散歩しに行きました。友達と一緒に行こうと約束がありましたが、彼女は行けませんでした。それで、一人で行くことになりました。正直言って、 散歩の初めには一人で散歩することになって、私は少し悲しくなりました。しかし、私はすぐにそれを忘れました。

今日の私のルートはリテーイヌイ大通りと決めました。


この通りはネフスキー大通り(街のメインストリート)からネヴァ川(街のメイン川)まで伸びています。

最寄りの地下鉄駅はマヤコーフスカヤ駅です。

 





落書きの中庭
私が最初に立ち寄ったのは、伝説的な落書きの中庭です。
しかし最近、下宿人全ての落書きを塗り潰してしまいました。

以前、この中庭には落書きをする人々がよく集まりました。絵は頻繁に描き替えられていたので、中庭はいつも違って見えました。ここで、落書きのフェスティバル行なわれたことありました。

リテーイヌイ大通り 61
今日、私は一つの絵しか見られませんでした。その絵のコンセプト分かりませんでしたが相撲の力士が描かれていたので、写真を撮りました。


本屋
(リテーイヌイ大通り 57)
リテーイヌイ大通り 57


 この小さな本屋に入った時、私の悲しみは吹き飛びました。 こ読むことも、コーヒーを飲むこともできる素敵な本屋です。しかし、ロシア語の本しか売っていないようです。





店内には、折り紙が飾ってあります


 

私は観光客ではありませんが、お土産を買いました。 街の景色が描かれたマグネットです。




日本をテーマにしたノートが、目に留まりました。
日の本のノートと、カバーに書いてあります。
日本の知恵: )
本題から脱線してしまいました。もちろん、これはこのお店の広告ではありませんでした。
                                                              ***
面白い中庭

ジュコーフスコゴ通り、 6
通りを歩きを続けて、 また中庭に入りました。
目がある木
 


ユスーポワ姫の家
リテーイヌイ大通り 42
これはこの通りで特に目立っている建物の一つです。これは1858年に建てられました。
昔、ここには高貴の出自で、気まぐれな女性が住んでいました。今もこの家にその女性の幽霊がいると伝説があります。 二階の窓長い間見ていると幽霊が見えるそうです。
 しかし、私はやってみませんでしたので、詳細を知りません。
 建物の正面は、数多くの彫像で飾られています。
  私ににとってそれはちょっと怖いです。建物にはとてもたくさんの目があるので、そこからあなたを誰か見ている感じがあっても驚くべきことではないでしょう。
今はその中には教育会館も大学もあります。


Time cafe lemonade

私は休憩するために、あるカフェに入りました。それは変わったカフェでした。そこではカフェで過ごした時間の分だけ代金を支払います。飲み物は無料ようです。しかし、私は何飲みませんでした。 そのカフェは屋上にあるので、撮影に夢中になりました。
  ベリーンスコゴ通り 9

シメオノフスカヤ 教会



それから、カフェを出て、 散歩を続けました。 二軒の日本製品を売っている店に気づきました。
 日本の磁器と日本のナイフです。



   リテーイヌイ大通りとペーステリャ通りの交差点

やっと、私は素敵な交差点に出ました。どこ見ても、景色が綺麗です。
パンテレイモノフスカヤ 教会

スパソ-プレオブラジェーンスキー大聖堂
 リテーイヌイ大通り、21
 今日は、一つの建物だけについてだけ少し話します。
詩人の家
これは文学界で「詩人の家」と知られている有名な建物です。 これは1877年に建てられました。ここには、作家や詩人たち暮らしていました。 そのため、文学に携わる人々がよく集まりました。
ところで、この建物にはノーベル賞を受賞したロシアの詩人ヨシフ・ブロツキーが住んでいました。
リテーイヌイ大通り、24
彼の名前に触れるつもりはありませんでした。恥ずかしいのですが、、私は彼の作品をほとんど知りません。 でも、wikipediaでブロツキーについての日本語の記事をみつけて、ビックリしました。 もしかしたら、日本でもブロツキーはよく知られているなのかと思って、私も彼について、ここで触れることにしました
彼は20世紀のロシアの最も著名な詩人の一人です。彼は1996年に亡くなりました。今、彼が住んでいたアパート彼の博物館にしようとする動きがあります。でもひとつ問題があります。


それはそのアパートが共有アパートだということです。そこ博物館にするために、そのアパートに住んいる人々別の家に引越してもらわなければなりません。 ある女性、引越しを断りました。その女性が自分の部屋につけた値段は誰も支払うことができないほど高かったのです。それが理由でサンクト・ペテルブルグにはまだブロツキーの博物館がありません。

軍将校の家
次の交差点にも有名な建物があります。この建物は昔軍事機関として使われていました。 現在、この建物はフェスティバルや展示などが行われる場所として使われています。
リテーイヌイ大通り、 20
中国庭園
通りの反対側に中国の庭があります。 その庭はサンクト・ペテルブルグが中国から300創立記念日にもらいました。 


素敵なカップルですね。
ハッピー切り株))今の私にとても似ているもの
私です。

その辺りの中庭の写真です。




中庭を出ました。 また通りを歩きます。サンクト・ペテルブルグでは天気が意外に変わることがよくあります。この写真の10分前ぐらい、軍将校の家にいるときは空は晴れていました。しかしそのあとすぐ空は曇って灰色になりました。



私は通りの始まりにつきました。

連邦保安庁の建物 

ところで、これはロシア連邦保安庁の建物 (Federal Security Service)です。
スターリンの抑圧の当時から有名な建物です。
リテーイヌイ大通り、 4

私は少し疲れました。しかし、もう一つの場所を訪れるだけの力が残っています。
チャイコフスキー通りにある中庭です。

モザイクの中庭
チャイコフスキー通りにある中庭です。
チャイコフスキー通り 、 2

絵があれば、美術館でしょう)




 ネヴァ川の堤防

私はチャイコフスキーストリートの中庭を出て、ネヴァ川の堤防に出ました。その中庭の変なモザイクの彫刻でいっぱいだったので、 普通のサンクト・ペテルブルグの景色をあらためて見るのを私は楽しんでいました。

ペトロパヴロフスク要塞


この通りを少し歩いていくと、エルミタージュがあります。


  夏の庭園

夏の庭園というとても有名な庭のゲートが堤防に面しています。庭園にに入りました。家に急いで帰るため私はさっさと庭を通り抜けました。 いつか別の記事でその庭について書きます。





イヴァン・クルィロフ (ロシアの作家)の記念碑

 ミハイローフスキー庭園
 駅に向途中で、もう一つの有名な庭園通りました。



急いで帰宅しようとしていたにもかかわらず、しばらくの間座ることにしました。



ここには秋が来ましたね。








散歩を始めた時、私の気分はよくなかったことを思い出しました。
私の今の気分はそのときよりいいようです。街が私とずっと話しているように感じて、私は一人ではなかったような気がします。そして、今日行ったの各所は印象に残り、特別な思いを呼び起こしました。
いつかその経験についても書きたいと思っています。

じゃ、家に帰ります))

血の上の救世主教会
 


素足でしょうか。すごく寒い・・・

                                                                      ***



 私のルートの地図

2 comments:

  1. Tania,こんにちは!今回の散歩のブログも面白かったです!そちらはそろそろ秋だというのが写真からわかります。木々にはまだ緑の葉っぱが付いていますが、落ち葉の写真を撮っていましたね。スターリンの抑圧の象徴の建物がありましたが、今ロシア国内でスターリンはどのような評価を受けていますか?ナチスドイツとの戦いや、アメリカとの冷戦はロシア国民はどう考えていますか?この質問はあなたにとって危険ですか?今回の散歩は、あなたの友達が一緒じゃなくて残念でしたね。でも、本屋のことやブロツキー、中国庭園など、あなたの街の多様な文化について知れて楽しかったですよ!ついでに、先日のドストエフスキーの『罪と罰』のブログも面白かった!いつも、あなたのブログを楽しみに読んでいますよ!またね!

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    1. こんにちは!
      私が連邦保安庁にとって面白くない人と思います。スターリンも昔亡くなりました。現在は、ここでは誰も何でも話すことができます。
      スターリンの評価ということは彼は歴史上の人物です。それだけです。
      ナチスドイツとの戦いは普通の人にとっては戦争は戦争です。恐ろしい経験です。
      私はアメリカとロシアの対立は嫌なことだと思います。そして、ロシアについてのアメリカの偽メディアなどが嫌いです。戦争が続いていると言えますね。

      私のブログを読んでくれてありがとう。私にとってそれは大切なものです。私は一人ではないと信じたいです)

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