29 Oct 2019

メンデレーエフの孫


サンクトペテルブルクには、興味深い写真が保管されています。 サンクトペテルブルク大学には、有名な化学者ドミトリー・メンデレーエフを記念した小さな博物館があります。 メンデレーエフの私物の中には、子供を抱いた日本の女性の写真があります。 この写真は、メンデレーエフと日本とのつながりについて語っています。 メンデレーエフの長男、ウラジミールは海軍士官でした。
1890年に彼は皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ(のちの皇帝ニコライ2世)が極東への航海で乗った巡洋艦「パーミャチ・アゾーヴァ」に割り当てられました。  この旅の間、皇太子ニコラスは日本も訪れました。 そのあとで、皇太子はウラジオストクに到着して、陸路でサンクトペテルブルクに戻ったことが知られています。しかし、巡洋艦パーミャチ・アゾーヴァはしばらくの間太平洋にとどまりました。長い間、長崎の港にも停泊していました。 船が長崎にいた間、ウラジミールはタカ・ヒデシマという日本人女性と恋愛関係になりました。 その後、彼はロシアに戻り、タカは日本で赤ん坊を産みました。 タカは、ロシアに手紙を送りましたが、ウラジミールからの返事はありませんでした。 彼女に返事を出したのは、ウラジミールの父ドミトリー・メンドレーフでした。 彼が彼女にお金を送ったことがわかっています。 ドミトリー・メンデレーエフはやさしい人だったので、もしタカがロシアに手紙を送り続けていたら、 彼は彼女を援助し続けたでしょう。しかし、タカは手紙を送るのをやめ、音信は途絶えました。
ウラジミールはロシアで他の女性と結婚したことが知られています。 1898年に彼は亡くなりました。
タカと彼女の娘がどうなったかは、何もわかっていません。


タカと彼女の娘おふじの写真は

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